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最高裁判所第一小法廷 昭和59年(あ)342号 決定 1984年11月29日

本籍

岡山県倉敷市連島町亀島新田一九六七番地の五

住居

同 倉敷市中畝五丁目三番二〇号

蓄産業

平井深

昭和一一年四月二一日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五九年一月一八日広島高等裁判所岡山支部が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人黒田充洽の上告趣意は、単なる法令違反、事実誤認の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 藤崎萬里 裁判官 谷口正孝 裁判官 和田誠一 裁判官 角田禮次郎 裁判官 矢口洪一)

昭和五九年(あ)第三四二号

○ 上告趣意書

被告人 平井深

右の者に対する所得税法違反被告事件につき、上告申立をした趣意を次のとおり陳述する。

昭和五九年四月二八日

右弁護人 黒田充洽

最高裁判所第一小法廷 御中

一 原判決は刑罰法規の解釈適用を誤った違法がある。

原判決は、一審判決が、本件事案につき検察官の懲役一年六月罰金四、二〇〇万円の求刑に対し被告人に対し、罰金三、〇〇〇万円に処する旨の言渡をしたのは量刑軽きに失するとして、一審判決を破棄し、被告人を懲役八年、罰金三、〇〇〇万円、懲役刑につき、二年間の執行を猶予する旨の言渡をなした。

1 しかして、一審判決が検察官の懲役一年六月、罰金四、二〇〇万円の求刑にもかかわらず罰金三、〇〇〇万円に処するとした量刑の理由とするところは、被告人の本件犯行は、昭和五三年度分ないし同五五年度分の所得税の逋脱であるが、その逋脱税額は合計一億四、一二三万三、二〇〇円にのぼり、被告人の刑事責任は軽くはないとしながら、本件は、昭和四七年の有限会社平井精肉店の法人税調査の際、被告人の営む蓄産業の収入が右法人の所得となるとする倉敷税務署法人税係官の見解と、被告人個人の所得となるとする被告人の見解が対立し倉敷税務署において長時間にわたり論議したが、その際法人税係官から個人所得として申告しても無駄足であるとの趣旨の発言がなされたことに端を発しており、昭和五六年三月国税局が査察に入るまで事業所得の申告をしなかった被告人は勿論責めらるべきである。けれども、右経緯によれば被告人に蓄産業による相当高額な収入があることは倉敷税務署において明らかに認識していたのに右査察まで、八年余の間調査等をなすこともなく放置していたものであって税務署側にも職務怠慢といわれてもやむを得ない事情があること、また被告人は査察に際してはこれに素直に応じ、逋脱税額を直ちに完納していること等の諸事情を考慮して、被告人に対し罰金刑のみを科することとしたものである。

2 ところで、検察官が右一審判決に対し、量刑不当として控訴した理由は、被告人の本件逋脱犯行は、仮名の預金で所得を秘匿するなど、手口は巧妙で、脱税額も一億四、〇〇〇万円余の高額で、逋脱率も高いなど、犯情は極めて悪質であることに照らし、また、他の同種犯罪の科刑と対比して、右一審判決の量刑は著しく軽きに不当であるとするものである。

右検察官の控訴の理由の中で、刑罰均衡の点を除いては一審判決が、量刑理由の冒頭で判示している、その逋脱額は合計一億四、一二三万三、二〇〇円にのぼり被告人の刑事責任は軽くはない、としていることで充分尽されていることである。この点で一審判決になんらの失当の点もないというべきである。

3 この点につき、原判決は、被告人は、右長期間の納税不申告の理由として、前示係官の所得に関する指導を公的なものと考え、平井蓄産の所得について、税務署側の法人所得申告から個人所得申告への方針の変更も自己に対し公的なものを要求し、これが今日まで無かったとして、所得申告をしなかった事情が認められ、記録上窺える昭和四七年八月の税務調査の際の諸状況に照して、被告人が右の態度をとるに至った心情は理解できなくはないのであるが、翌四八年春頃、右税務署係官から、被告人の委嘱税理士を通じて平井蓄産の所得は被告人個人として、申告してよい旨の表明が被告人になされており、従前の、法人所得としての申告でないと受付けない旨の見解は、一応、公的に撤回されたものであるから、以後、被告人としては、平井蓄産での個人所得として、支障なく申告できたのであり、また、右税理士や妻からも、再三にわたって右の申告をするよう懇請されたのにもかかわらず、被告人は、自己に対する直接的な税務当局の見解を求めて、不申告の態度を固持し、結局本件犯行に至ったものである。として、以上の経緯を鑑みると、被告人の本件逋脱犯行は、前示のような税務当局との事情はあるにしても、被告人の不相当の頑固さに起因するものが認められるほか、前示の仮空及びマル優制度悪用の預金状況に照して、利慾的意図も窺えるのであって、逋脱期間が長期にわたっていることや本件逋脱金額が高額であこと、逋脱犯に対する厳しい社会的非難性などを併せ考えると、被告人の本件犯行を罰金刑のみによって処断するにはいささか軽きに過ぎるものがあり、懲役刑をも併科処断されるもやむを得ないので、……結局一審判決は量刑不当として破棄を免れない。とする、

4 しかしながら、原判決には、量刑の前提事実につき、つぎに述べるような事実の誤認がある。

イ 被告人が、長期間に亘って納税不申告をしたのは倉敷税務係官所得に関する指導を公的なものと考え、平井蓄産の所得について、税務署側の法人所得申告から個人所得申告への方針変更も、自己に対し公的なものを要求し、これが本件査察にいたった昭和五六年までなかったとして、所得申告をしなかった事情については、原判決も認めているところであるが、原判決は、昭和四八年春頃、右税務署係官から、被告人の委嘱税理士を通じて平井蓄産の所得は被告人個人の所得として申告してよい旨の表明が被告人になされており、従前の法人所得としての申告でないと受付けない旨の見解は、一応公的に撤回されたのであるとする。

しかし、被告人に右撤回の見解が伝えられたのは昭和四八年春頃でなく、昭和五十年春頃であり(杉本証言)その間被告人の委嘱税理士である杉本税理士のところで前記撤回の表明は止っていたところである。この点につき杉本税理士は、島村から言われたのは昭和四八年の春頃であり、被告人には冷却期間を置いた方がよいと判断したのですぐには伝えなかった。伝えたのは、蓄舎のあるところであったと述べているところであり、これと被告人提出の書証から、蓄舎の土地購入、蓄舎建設の時期、飼育許可申請の時期が順次昭和四九年頃から昭和五〇年四月頃にかけてである事実から、杉本税理士が税務署係官の前示表明を伝えたのは昭和五〇年春頃である。それ程に法人所得とするか個人所得とするかということについて両者の間に大激論が取交わされたところであり、被告人が直接の意思撤回を求めていたにもかかわらず、委嘱税理士を通じてという間接的な姑息手段をとったところに被告人をしてせめて足を運ぶようにと杉本税理士に伝えたところ、杉本税理士はこれを係官に伝えなかったためか、係官は遂いに被告人に対し直接意思表示をすることがなかったため、不申告の態度が続けられ、本件逋脱にいたったものである。原判決はこれを被告人の不相当の頑固さに起因するものであるとする。

しかし、納得のいく納税の基本理念からすれば、本件の場合被告人から直接の公的見解の是正を求めることは当然のことであり、又これに応ずることが公僕である公務員として国民に対する職務上の義務であると言わなければならない。実に簡単なことである。自らの尽すべき簡単な義務を行わなかったのであり、公的に撤回されていないというべきである。いわゆる役人としての面子のこだわり過ぎていると言ってよく、この態度が行政に対する国民の不信を買っているところでもある。原判決にはこの点に事実の誤認がある。

ロ 次に、被告人の平井蓄産としての所得が相当高額なものであることは、税務署において明らかに認識していたのに、八年有余の長期にわたってなんらの調査もなすことなく放置して本件査察に至ったことは、昭和四七年春の調査における失態から、被告人の平井蓄産としての個人収入が多額のものであることを熟知しながら所轄税務署の担当官として調査を行えなかったところから国税局の査察に廻すという保身的な姑息な手段をとるに至ったものであって(この点について被告人質問の結果から査察担当官は当初、被告人に対し悪質な警戒を要するものとして対処したところ、ことの真相がわかって被告人にいたく同情したことが窺われる)職務怠慢も甚だしきものと言わなければならない。頭を下げれば、被告人は直ぐ申告に応じたのであり、本件犯行には至らなかったのである。未然に防止できたものを職務の懈怠から被告人をして心ならずも犯行を惹起させた結果になったもので、その責めは寧ろ係官にあると言うべきである。不作為による作為犯と非難されても仕方がないところである。原判決はこの点を看過している。

5 刑罰の適用は一般予防の見地から均衡でなければならないことはもとよりであるが、一般予防の見地にかたむき過ぎると却って不均衡のそしりを免がれないこともある。逋脱行為が一般的に非難されるのは本件のような特段の事情のない場合であって控訴の趣意に掲記された事案は本件に適切でないというべく、本件のように被告人の主観において違法の認識がないとも見られる事案について、一般予防的見地からその額が多い、長期であるということのみをもって、刑罰均衝のうえから量刑の軽重を論ずることは、将に刑罰法規の解釈適用を誤ったものというできである。一審判決が本件の特段の事情を考慮して、罰金刑のみをもって処断したのは適正であって、これを破棄し、懲役刑を併科した原判決には刑罰法規の解釈適用を誤った違法がある。

二 仮りに右主張が容れられないとしても、原判決の量刑は甚だしく不当であり、これを破棄しなければ著しく正義に反するもので、刑訴法第四一一条二号の適用あるものと思料する。

原判決が一審検察官の求刑に対比して量刑上考慮していることは認められるが、本件のような前記特段の事情がある場合、査察後の重加算税については即納がとられず一〇年いう長期の分割方法が許容されているという税務当局の行政上の特別配慮がとられているということに照しても懲役刑を併科した原判決の量刑は一般予防の見地にかたむきすぎた嫌いがあり前記のような本件の情状を十分考慮したものとは認めがたく甚しく不当というの他なく、罰金刑のみを選択した一審判決の英断、勇断に対して寄せた被告人の、とりもなおさず国民の司法の正義への信頼は失われたものというべく、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと思料する。

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